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スポーツ

元マリノス・山田隆裕は現在スポーツバーの経営者で成功してる?


ワールドカップが盛り上がっていますね。

そんな日本でのサッカー人気の火つけ役となったのが
Jリーグだと思います。

そこで今回は現在活躍している日本代表とかでは
なく昔の選手に注目していみようと思います。

今回注目したのは元マリノスの山田隆裕氏に
注目していみようと思います。



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山田隆裕氏のマリノス時代の活躍

まずは山田隆裕氏について知らない方もいるかと
思います。

山田隆裕氏はどんな選手だったのか調べてみました。

プロフィール
本 名 山田隆裕
出 身 大阪府
生年月日 1972 年 4 月 29 日
サイズ 身長 176cm 体重 84.0kg
趣 味 スポーツ観戦(ボクシング等)
映画鑑賞
特 技 サッカー
免 許 普通自動車
学 歴 静岡県清水市立商業高校卒業

1988 年名門清水市立商業高校入学。1989 年、1989 年と 2 年連続で全国高校総体インターハイにおいて優勝。

1991 年日産自動車サッカー部(現横浜マリノス)に入団後、天皇杯やアジアウィナーズカップでの優勝に貢献。

1993 年の J リーグ開幕後もサントリーシリーズ、チャンピオンシップ(1995 年)のチーム優勝に貢献。
その後京都パープルサンガ、ヴェルディ川崎、と移籍。1999 年ベガルタ仙台移籍後はチームの J1昇格にも貢献。

2003 年現役を引退。

輝かしい経歴をもった選手だったことがわかりますね。

また1992~1995年の間、日本代表にも選ばれております。

現在も「あのとき、俺が出てたら勝ってましたよ。誰よりも自分が上手いと思ってましたから」
「あの時」とは、1993年アメリカW杯アジア最終予選イラク戦。
いわゆる“ドーハの悲劇”だ。

残念ながら山田隆裕氏は代表を辞退していました。

引退後はサッカー解説などされていました。

がその才能ではなく商売の才能があったみたいで
実業家としても成功をされています。

それもこれも幼少期父親が事業に失敗し
1億近い借金があったそうで
その父親は蒸発

母と姉といましたがバラバラに暮らすこともあったみたいです。
そのころからお金を返すために!を第一に考えていた

山田隆裕氏はその時サッカーが稼げる仕事だからやったみたいです。
そのころにほかに稼げる仕事があったらほかのに手を出していたかもしれませんね。

山田隆裕氏の実業家としての才能


引退後に始めたメロンパンの移動販売、
これが当初当たったみたいで、
実業家としての道が開けたかと思われましたが

2009年にメロンパンの生地の質が落ちたことを理由に
販売が低迷し移動販売をしていた販売員に
損害賠償をおこされ敗訴なったみたいで

移動販売のメロンパンの事業から撤退することになりました。

その後は新聞配達や焼き鳥屋などをへて

現在この春から西新宿にあるアイリッシュパブ「Peter Cole本店」の
グランドマネージャーをしている。

パブリックビューイングもするみたいなので
ワールドカップ、日本代表ぎりぎりでしたが
なんとか決勝グループにのこったので

お近くの方は遊びにいってみてはいかがでしょうか?



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山田隆裕氏のこの記事のまとめ

・マリノス時代ドリブルで天才的才能を発揮
・いわゆるドーハの悲劇に自分がでていたら勝ってたといわれてた
・現役引退後移動販売のメロンパンの販売、フランチャイズをして
いたが生地質が落ち、売上が落ちたことによって販売員から訴えられ敗訴

・その後も新聞配達や焼き鳥屋の手伝いを経て
西新宿にあるアイリッシュパブ「Peter Cole本店」の
グランドマネージャーをしている。

どちらにせよ山田隆裕氏は辛抱人ですねぇ

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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